2014.06.19 (Thu)
平岸(札幌市豊平区)について知るために、
「平岸郷土資料館」を訪れた。

この建物は、児童会館が併設されている。
元気な児童たちのワイワイした声を聴きながら、
郷土の歴史に思いを馳せるのもなかなか良いものだった。

明治4年、岩手県人59名が平岸に入植した頃は、
魚を取るための網を作るために、麻を栽培していたことから、
麻畑村(あさはたむら)と呼ばれていました。

明治8年、アイヌ語で「崖の・尻の・ところ」を意味する「ピラ・ケシ・イ」をもじって、
「平岸村」と改称されました。
平岸はりんご栽培と関係が深い地域です。

明治5年開拓使顧問ケプロンの進言により、
開拓使は米国より、
りんごを始めとした果樹類を輸入し、
全道各地へ配布しました。
平岸村には明治8年から10年にかけて、1900本の苗木が、
川沿いに中の島、平岸と栽植され、豊平川沿岸の沖積土で育ちました。

そして明治14年には、結実した平岸のりんごは、明治天皇への献上品となりました。
大正2年の異常低温で北海道全域で林檎が大凶作でしたが、
平岸地区だけは被害が大きくなかった。
その理由は、凶作に適合する研究が進んでいたことや、
札幌農学校、北海道庁の指導を直接受けることが出来ていたからと言われています。
市内のりんご園が都市化の波によって、続々廃園に追い込まれる中にあって、
豊平川によって市街地と隔てられた平岸地区のりんご園は増反ブームを迎え、
昭和2年頃の村は林檎の海だったそうです。
昭和20年には林檎の生産量は最大に。
しかし、その後、
昭和27年頃から自然災害が頻発したり、
都市化の波が浸食したりして、
地域の様相が一変してしまいます。
昭和45年頃には地域の果樹園は消え、
現在では環状通りのリンゴ並木等にその面影を残すのみとなりました。
開拓時から昭和初期まで、
平岸を支えた林檎栽培。
幾多の困難を乗り越え、
苦労して、
林檎を栽培してこられた先人への感謝を忘れないよう、
現在も、
平岸の各所には、
林檎への思いが刻まれています。
開拓ゆかりの道
「平岸街道」
開拓使が原生林を一直線に切り開いた場所


明治6年には中央部に用水路が作られていた。
昭和46年に用水路は埋められ、中央分離帯として整備。
現在はりんごの木が植えられている。
開拓ゆかりの学校
「平岸小学校」
明治23年開校
ここでは、
開拓の歴史に触れることが出来るものを多く発見いたしました。

「校章」
りんごにちなんで、りんごの花びらの中央に「平岸」の文字を入れ、
まわりにりんごの種子をデザインしたもの。
子どもたちの未来への期待が込められている。

「みのりの像」
平岸開拓110年を記念して昭和55年に校舎庭に建てられた。
背景のりんごの木と清楚な乙女像は北方に生きた人の強さと知性を示している。

校舎の庭には、
「りんごの記念樹」が植えられている。

「大イチョウ」
樹齢100年以上の歴史の木。
明治32年現在地へ移転した時から植えられており、
平岸小学校の変遷を見守っている。
大きくなりすぎて、枝葉が隣家に接触している。
「天神山緑地」

ここから多数の土器石器が出土しました。
太古から人類がここに住み着いていた痕跡と思われます。

見晴らし台からは、
平岸の町並みを一望することができます。

緑地には日本庭園もありました。
歩いていても飽きません。
歩くこと頂部に、
「さっぽろ天神山アートスタジオ」を発見。

旧札幌天神山国際ハウスを改修・再整備し、
今年夏に開催する札幌国際芸術祭に併せて、
札幌市の新しい文化芸術施設として、
つい先月5月に開館したようです。
創作活動で滞在できるスタジオもありました。
とても安値でお借りできるので、
集中した創作活動をしたい時は、
ここへ来るのも良いかも知れません。

サロンに巨大な網み蛸が。
「網み師203gowさん」というアーティストの作品の様です。
203gowさんのブログ
「札幌国際芸術祭」は7/19から9/28までとなっております。
多くのアーティストがここ、
天神山緑地を訪れることでしょう。
「久保栄の文学碑」
明治33年12月28日、札幌生まれの
劇作家・久保栄は、翻訳・評論・戯曲・演出・小説の分野で生きた。

平岸りんご園は久保栄氏が若いころスケッチを楽しんだ場所。
開拓者ゆかりの神社「相馬神社」

天神山緑地からも行くことが出来ます。
明治35年、北海道の開拓と地域の殖産産業の発展を願い、
福島県相馬郡太田村鎮守相馬太田神社の御分霊を奉祀したのが、
相馬神社のおこり。
御神木である、樹齢300年以上のシバグリがある。

開拓者の思いが込められた相馬神社。
ここに来ると、
身も心も引き締まる感覚です。
こういう場所へは、
なるべく多く足を運ぼうと思いますし、
建築関係で、今後、
豊平区で神事を行うときは、
是非お願いし、
開拓の精神をより深く学びたいと思います。
・・・平岸には、今回3時間程度の滞在でしたが、
これまで全く知らなかった歴史の中に、
新しい発見もあり、
とても良い時間となりました。
凝り固まった視点を、
リセットして。
立ち止まって、
見たり感じる。
そうすることで、
また、
別の視界が拡がっていきます。
今度は、仕事で。
ここへ来たときには、
平岸について、
もっと詳しくお話しできる人になっていきたいと思っています・・。
「平岸郷土資料館」を訪れた。

この建物は、児童会館が併設されている。
元気な児童たちのワイワイした声を聴きながら、
郷土の歴史に思いを馳せるのもなかなか良いものだった。

明治4年、岩手県人59名が平岸に入植した頃は、
魚を取るための網を作るために、麻を栽培していたことから、
麻畑村(あさはたむら)と呼ばれていました。

明治8年、アイヌ語で「崖の・尻の・ところ」を意味する「ピラ・ケシ・イ」をもじって、
「平岸村」と改称されました。
平岸はりんご栽培と関係が深い地域です。

明治5年開拓使顧問ケプロンの進言により、
開拓使は米国より、
りんごを始めとした果樹類を輸入し、
全道各地へ配布しました。
平岸村には明治8年から10年にかけて、1900本の苗木が、
川沿いに中の島、平岸と栽植され、豊平川沿岸の沖積土で育ちました。

そして明治14年には、結実した平岸のりんごは、明治天皇への献上品となりました。
大正2年の異常低温で北海道全域で林檎が大凶作でしたが、
平岸地区だけは被害が大きくなかった。
その理由は、凶作に適合する研究が進んでいたことや、
札幌農学校、北海道庁の指導を直接受けることが出来ていたからと言われています。
市内のりんご園が都市化の波によって、続々廃園に追い込まれる中にあって、
豊平川によって市街地と隔てられた平岸地区のりんご園は増反ブームを迎え、
昭和2年頃の村は林檎の海だったそうです。
昭和20年には林檎の生産量は最大に。
しかし、その後、
昭和27年頃から自然災害が頻発したり、
都市化の波が浸食したりして、
地域の様相が一変してしまいます。
昭和45年頃には地域の果樹園は消え、
現在では環状通りのリンゴ並木等にその面影を残すのみとなりました。
開拓時から昭和初期まで、
平岸を支えた林檎栽培。
幾多の困難を乗り越え、
苦労して、
林檎を栽培してこられた先人への感謝を忘れないよう、
現在も、
平岸の各所には、
林檎への思いが刻まれています。
開拓ゆかりの道
「平岸街道」
開拓使が原生林を一直線に切り開いた場所


明治6年には中央部に用水路が作られていた。
昭和46年に用水路は埋められ、中央分離帯として整備。
現在はりんごの木が植えられている。
開拓ゆかりの学校
「平岸小学校」
明治23年開校
ここでは、
開拓の歴史に触れることが出来るものを多く発見いたしました。

「校章」
りんごにちなんで、りんごの花びらの中央に「平岸」の文字を入れ、
まわりにりんごの種子をデザインしたもの。
子どもたちの未来への期待が込められている。

「みのりの像」
平岸開拓110年を記念して昭和55年に校舎庭に建てられた。
背景のりんごの木と清楚な乙女像は北方に生きた人の強さと知性を示している。

校舎の庭には、
「りんごの記念樹」が植えられている。

「大イチョウ」
樹齢100年以上の歴史の木。
明治32年現在地へ移転した時から植えられており、
平岸小学校の変遷を見守っている。
大きくなりすぎて、枝葉が隣家に接触している。
「天神山緑地」

ここから多数の土器石器が出土しました。
太古から人類がここに住み着いていた痕跡と思われます。

見晴らし台からは、
平岸の町並みを一望することができます。

緑地には日本庭園もありました。
歩いていても飽きません。
歩くこと頂部に、
「さっぽろ天神山アートスタジオ」を発見。

旧札幌天神山国際ハウスを改修・再整備し、
今年夏に開催する札幌国際芸術祭に併せて、
札幌市の新しい文化芸術施設として、
つい先月5月に開館したようです。
創作活動で滞在できるスタジオもありました。
とても安値でお借りできるので、
集中した創作活動をしたい時は、
ここへ来るのも良いかも知れません。

サロンに巨大な網み蛸が。
「網み師203gowさん」というアーティストの作品の様です。
203gowさんのブログ
「札幌国際芸術祭」は7/19から9/28までとなっております。
多くのアーティストがここ、
天神山緑地を訪れることでしょう。
「久保栄の文学碑」
明治33年12月28日、札幌生まれの
劇作家・久保栄は、翻訳・評論・戯曲・演出・小説の分野で生きた。

平岸りんご園は久保栄氏が若いころスケッチを楽しんだ場所。
開拓者ゆかりの神社「相馬神社」

天神山緑地からも行くことが出来ます。
明治35年、北海道の開拓と地域の殖産産業の発展を願い、
福島県相馬郡太田村鎮守相馬太田神社の御分霊を奉祀したのが、
相馬神社のおこり。
御神木である、樹齢300年以上のシバグリがある。

開拓者の思いが込められた相馬神社。
ここに来ると、
身も心も引き締まる感覚です。
こういう場所へは、
なるべく多く足を運ぼうと思いますし、
建築関係で、今後、
豊平区で神事を行うときは、
是非お願いし、
開拓の精神をより深く学びたいと思います。
・・・平岸には、今回3時間程度の滞在でしたが、
これまで全く知らなかった歴史の中に、
新しい発見もあり、
とても良い時間となりました。
凝り固まった視点を、
リセットして。
立ち止まって、
見たり感じる。
そうすることで、
また、
別の視界が拡がっていきます。
今度は、仕事で。
ここへ来たときには、
平岸について、
もっと詳しくお話しできる人になっていきたいと思っています・・。